これまで九州の神社を中心にご紹介してきましたが、番外編です!今回は九州のお隣、山口県下関にある赤間神宮をご紹介します。
源平の合戦の舞台 関門海峡に鎮座
赤間神宮の歴史は1185年の平家滅亡まで遡ります。
平清盛の娘を母に持つ安徳天皇は、源平の合戦で平氏が敗戦し続けることで西へ都落ちします。
踏ん張る平氏でしたが、壇ノ浦の戦いで敗れ、わずか8歳の若さで祖母である二位尼に抱きかかえられ入水し、生涯を終えることになります。
のちに、後鳥羽天皇の命により、安徳天皇を祀る「寺」として建立された「阿弥陀寺」と呼ばれるお寺として始まりました。
明治維新以降の神仏分離令により、阿弥陀寺は、赤間神宮となったのです。
ひときわ華やかな「水天門」
赤間神宮には、対岸(福岡県北九州市)からも見えるほどの華やかな門があります。
第二次世界大戦で焼失してしまった赤間神宮を再建するとき、二位尼が詠んだ「海の底にも都があります」という意味の歌から、「竜宮城」をイメージして作られたそうです。
これが「水天門」になります。
また、「水天門」の名前の由来は、安徳天皇が「水天宮」に祀られていて、水天大神と呼ばれたことからつけられた名前だということです。
安産で有名な水天宮にどうして祀られているのかというと、安徳天皇の母である高倉平中宮(建札門院)に仕えていた女官が、壇ノ浦の戦いの後、安徳天皇をはじめ、平家一門を祀ったのが水天宮であるからです。
怪談「耳なし芳一」の舞台
小泉八雲の怪談に出てくる「耳なし芳一」のお話の舞台となったお寺が、この阿弥陀寺(現・赤間神宮)なんだそうです。
琵琶の名人であった盲人の芳一は、物語を琵琶に乗せて語っていました。
その琵琶があまりにも素晴らしかったので、琵琶の音色と平家物語の語りに、平家の亡霊は涙しました。亡霊たちは「7晩聞かせてほしい」とお願いし、芳一は毎夜語りに出かけました。
その行動を不審に思った寺の僧が後を追ってみたところ、琵琶を弾き平家物語を語る芳一の周りに沢山の鬼火があるのを見たのです。
これはまずいと、阿弥陀寺の和尚が芳一の全身にお経を書き「今晩は声を出さないように」と言いました。いつものように亡霊は現れましたが、芳一の姿がありません。
すると、芳一の耳だけがあることに気づき、その耳だけをもぎ取って帰っていったのです。
なんと、耳だけお経が書いていなかったのです・・・
赤間神宮には「芳一堂」というお堂があり、芳一をお祀りしています。
また、毎年7月に耳なし芳一まつりが開かれます。
赤間神宮の御朱印
赤間神宮の御朱印です。
アクセス
JR山陽本線 下関駅から サンデンバスで約10分「赤間神宮前」下車
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